2009年07月02日

明治時代から続いた日独交流5

星基金が無かったら
ドイツの化学工業は無かった。
それは、もう常識というか定説にまでなっています。

しかし、その後、星基金は、忘れ去られました。
理由は、2つあります。

まず、フリッツ・ハーバーはアインシュタインと同様ユダヤ系学者でした。そのために一九三三年、ヒトラーが政権を取るとただちにベルリン大学から追放され、一九三四年、スイスのバーゼルでさびしく死にました。

追放のことを知ると星一はハーバーに宛てて、日本に来い、という手紙を書き送りました。しかしその書簡は、ハーバーが死んで数日後にやっと遺族のもとに届けられました。そしてそれ以後、ユダヤ人ハーバーの名は、ドイツにおいて意図的に忘却されました。

そして2つ目の理由。

「星基金」は、ヨーロッパの学術に対する非ヨーロッパ世界からの、史上初めての経済援助でした。
しかも白人の国からではありません。
白人たちの先を越したその国は、
劣悪人種といわれていた、黄色人種ヤパーナー(日本人)からのものでした。


大正8(1919)年2月13日、第一次世界大戦の戦後処理を行う為に開催されたパリ講和会議の際、米国大統領・ウィルソンの首唱による「国際連盟」設立の為に同時開催されていた国際連盟規約委員会の席上、日本は既に固まっていた14ヶ条に加えて、「第15条」として、

「人種・国籍により法律上あるいは事実上何ら差別を設けないことを約す」

と言う「人種差別撤廃条項」を盛り込もうとしました。
フランス・イタリアは、賛成したので
しかし、アメリカ・イギリスの反対で流れました。
それで日本は、より採択可能な修正案として、「人種」の文言を削除した

「国家平等の原則と国民の公正な処遇を約す」

を提案し、評決にかけられたのです。
同案は、16票中11票の賛成多数で可決されることになったのですが、
議長であったウィルソン・米国大統領が突如として、

「重要案件は全会一致でなければならない」

として勝手にルールを変更し、不採択を宣言。日本側は、

「今まで、多数決だったのに、
どうして、今回に限って全会一致なんですか?」


と反論しました。
この評決については、
同じ欧米列強の一員であった
フランス全権団からも、

「それまでの票決では、全会一致の規則が適用されていなかったにも関わらず、
今回に限って全会一致の規則を適用する事には
納得出来ない


との抗議がなされましたが、
これに対して、ウィルソン・米国大統領は、

「人種差別撤廃条項を挿入する事は出来無い」

と発言し、議長役を放り投げてとっとと帰国。
自らが提唱した「国際連盟」にも米国は参加せず、

「米国不参加で、国際連盟をやるならやってみろ」

と言った態度を取ったのです。

これが、米国の民主主義かよと、
当時の日本人が、アメリカに不信をもったのも無理もありません。
(フランスには、自由の女神を帰せという権利がありますね)

アメリカでは、黒人たちが叫んでいました。

「我々黒人は、講和会議の席上で、人種問題について激しい議論を戦わせている日本に、最大の敬意を払うものである。全米1200万の黒人が息を呑んで、会議の成り行きを見守っている」

こういう時代背景の中では、星基金を忘れたくなるのも無理ありません。
ちなみに第二次大戦後、米軍は、星基金資料をごっそり奪い去り、
それが返却されたのは、1985年のことです。
資料の大半は、シーボルト関連資料でした。

posted by 風 at 00:21| Comment(7) | 日本とドイツの交流 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
暴言ではありますが、アメリカのウィルソンは、ケツの穴の小さいことをするな、と思ってしまいました。

彼にも彼なりの背景があり、そういう言動をとったのでしょうけど、それにしても、です。
Posted by みわぼー at 2009年07月02日 09:42

選挙民の民度が、トップに反映したのでしょうね。民主主義の宿命でしょうね。ここでイフを言うと、アメリカのウィルソンが、もし、落選覚悟で日本提案を受け入れていたら、ウイルソンは歴史の英雄になったし、アメリカには栄光の歴史が残ったでしょうね。

しかし、この後、アメリカは、排日移民法を通過させます。それに呼応して、中国大陸で抗日運動が始まりますが、愛国無罪なんて生やさしいものではなくて、毎年平均100人くせいの邦人がテロにあうようになります。排日移民法が、日本にとって痛かったのは、これが国際慣例になると、世界中で邦人を閉め出すことが合法になっさてしまうことでした。

Posted by マネージャー at 2009年07月03日 01:50
排日運動…。

そういえば、日本人移民が多く流入して、アメリカ国民の雇用が圧迫されていたんですよね。
当時は。

ウィルソンが提案した国際連盟なのに、アメリカが加入しなかった理由がわからなかったんですが、選挙民の民度の問題だったんですか…。

考えさせられます。
Posted by みわぼー at 2009年07月04日 09:52
>日本人移民が多く流入して、アメリカ国民の雇用が圧迫されていたんですよね

実際は、そういう事はなかったのです。1891〜1900年の10年間において、全移民数に対する日本人移民数は0.75%。同様に、1901〜1910年=0.62%、1911〜1920年=0.6%。
雇用の圧迫なんかありえない。黒人やインド人やアラブ人は、もっと多いですからね。問題は、日本人が、勤勉なために、お金持ちになっていくことです。

で、1893年、サンフランシスコの市教育委員会は驚くべきことに、市内の公立学校は日本人生徒の入学を拒否するのです。

1905年にはサンフランシスコに「日韓人排斥協会(The Japanese and Korean Exclusion League)」が組織されます。これが、kkkみたいな団体で、焼き討ちなんがおこります。いわゆるテロですね。

問題は、この騒動が、中国に飛び火したんです。抗日です。アメリカがやってるなら、俺たちもやるということで、世界中で排日テロがおきた。このあたりは、戦前では常識であったのに、今では誰もふれなくなりました。
Posted by マネージャー at 2009年07月05日 08:28
そうだったんですか!

じゃあ、ヨーロッパでユダヤ人が迫害されてた理由に、結構似てますね…。

時代は違うけど、シェークスピアの「ベニスの商人」のユダヤ人商人シャイロックがあそこまで悪辣に描かれているのも、そういう感情が当時のシェークスピアを始めとするイギリス国民の感情的世論があった訳ですよね。

まぁ、ベニスはイギリスじゃないけど。
Posted by みわぼー at 2009年07月05日 11:57

>シェークスピアの「ベニスの商人」

 シークスピアの時代には、イギリスには、ユダヤ人はいなかったんですよ。だから、その頃のイギリスは、実にちっぽけな国でした。当時、世界最強の国だったのは、オランダで、ユダヤ人は、オランダに集まっていた。それとドイツね。

>ユダヤ人商人シャイロックがあそこまで悪辣に描かれているのも、

これには、二つの背景がありまして、シャイロックのような金貸しが、ヨーロッパで宗教的に可能だったのが、ユダヤ教徒だけだったんですね。だから儲けたい人は、偽のユダヤ教徒になって、世界の貿易の中心地であるオランダに集まった。キリスト教徒の冒険家たちも、彼ら出資者が必要だったのです。ところが、イギリスには、ユダヤ人がゼロだったんです。つまり、金貸し=ユダヤ人くらいの認識ぐらいしかなかった。

もう一つは、イギリスの法体系です。イギリス人は、一旦書かれた法令が成立してしまうと大きな道徳的権威を持つようになると信じる癖がある。そして法を拡大解釈したり、古い法を置しておくことを非道徳的なことだと信じていた。で、あういう劇が書かれたわけです。

話は変わりますが、シークスピアの死後、大量のユダヤ人がイギリスに入国し、イギリスは、世界最大の国家になります。で、ユダヤ人の総理大臣が生まれた時が、イギリスの最盛期でした。これは、ドイツでも一緒で、ドイツのフランクフルトにロスチャイルドが出てから、ドイツの繁栄は始まっています。フランクフルトは、今でも、ドイツの経済の中心地ですよね? アムステルダムも、そうです。

詳しくは、『まさしく歴史は繰りかえす〜今こそ「歴史の鉄則」に学ぶとき』渡部昇一著(クレスト社)をどうぞ。
Posted by マネージャー at 2009年07月06日 15:12
ベットに続き、ウイグルでも大変なことになっている。中国共産党は、昔から何も変わってないですね。ウイグル人の虐殺風景が、YouTubeに次々とアップされていますね。

http://www.youtube.com/watch?v=YEko0KL2Jc4

http://www.youtube.com/watch?v=NHxzbSBt04k

http://www.youtube.com/watch?v=9Zve5Qoaaj8&feature=related

Posted by マネージャー at 2009年07月08日 23:06
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