2009年07月01日

明治時代から続いた日独交流4

「星基金」つづき

 星基金の恩恵を受けた人にフリッツ・ハーバーという人がいます。

 理系の人なら「ハーバーか!」と驚くでしょう。
 農業関係者なら「おれらの神、ハーバーか!」
 軍事オタクなら「あのハーバーか?」
 プロジェクトXオタクなら「ドイツのプロジェクトXがあったら、こいつが1号だろう」
 医薬関係者なら「父なるハーバー」

 そして、日本史オタクなら「うん?」
 そして、幕末史オタクなら「あれ?なんか聴いたことがある」
 函館公園を散歩する人なら「ああ!」

 実は、初代ドイツ領事は、ルードウィッヒ・ハーバーという人でした。

 明治7年8月11日、ドイツ領事ルードウィッヒ・ハーバーが公園を散歩中、旧秋田藩士田崎秀親(23)に斬殺された。大きな国際問題になり田崎は首をはねられました。ハーバーのお墓はブラキストン(イギリス商人)により遺体は外人墓地に埋葬されましたが、1924年に50年祭があり、墓石ごと惨殺地に移して記念碑としました。

 この記念碑の除幕式に甥であるフリッツ・ハーバーが招かれたのです。
 招いた人こそ、星一です。
 奥さんを含めて招待費用全額をポンと出しています。

 フリッツ・ハーバー(ユダヤ系)は、ためらっていると
 親友のアインシュタイン(ユダヤ系)は、
「日本は素晴らしい国だよ、ぜったに行くべき!」
 と勧めました。

 そこでハーバーは1924年、星の招きを受け、シャルロッテ夫人とともに船で日本を訪問しました。そして日本の素晴らしさに感動してドイツに、こんな手紙を書きました。

「日本人は模倣と物真似の民族だという人がいます。私にはとうていそうは思えません。日本は近々、強大な大工業国になるでしょう」

 星に感銘を受けたフリッツ・ハーバーは、感謝のしるしにいくつかの化学の特許をぐちよく星に贈与しようとしました。しかし星はそれを断っています。

「他人の特許は必要ならばお金で正当に買うべきです。タダでもらうものではない」

 もし星があのときフリッツ・ハーバーから
 いくつかの化学の特許を受けとっていたら、
 彼の会社は、倒産せずにすみ、
 戦後の日本の化学工業界は世界一になったでしょう。
 それほど凄い特許だった。

 しかし、星は、断った。
 男ですね。


 1926年、日本からの4つの基金援助で立ち直ったドイツは、
 ベルリンに日本文化研究所をつくりました。
 フリッツ・ハーバーが初代所長に選ばれ、
盛大に開所式が行われました。

 日本の星一と友人たちは、
 またしても高額の寄付金を送りました。
 その星からのお金で文化研究所は、
 オーストリア皇帝・フランツ一世の遺品の中から、
 シーボルトの『ニッポン』一揃いを購入することができました。

posted by 風 at 20:44| Comment(0) | 日本とドイツの交流 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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