2009年07月01日

明治時代から続いた日独交流2

ベルリンの「星基金」

 第一次世界大戦のあとドイツの学界は、インフレーションのために極度の財政難に陥り、国際学界からも長いことボイコットされていました。まさにそのとき、かなりの数の日本人が、かつて学んだドイツの恩師や友人への忠実な友情関係を再開しました。個人的援助は、数知れず。パウズインガー一家の例は、やまほどありました。

 しかし、それを一々あげてたらきりがないので、公的援助について述べてみます。実は、公的なものでは、当時ベルリンだけでも日本から送られたお金で「日本基金」が四つも設立されました。

 4つですよ!
 4つ!


 発展途上国が、先進国に4つの基金を送ったのです。
 これは、他に例をみない措置です。
 おそらく史上初の
 発展途上国による、先進国への援助
 です。
 それが4つあった。


 その4つの中のひとつに
 「星基金」(Hoshi Ausschuss)
 と言う基金がありました。

 星製薬の創始者・星一(星新一のお父さんです)は、ドイツの学者たちの窮状を知りますと、自発的に私費をベルリンに送りました。

 現在「ドイツ学術振興会」(DFO)という組織がありますが、その前身は第一次大戦後、飢餓にさらされた学者たちを救うために設けられた組織でした。この振興会に星は多額のお金を送りました。そしてそれには何の条件も制約も付けませんでした。

 そして、ドイツでは、星からの寄付を有効に用いるべく、ベルリン大学化学教授のフリッツ・ハーバーを長とする委員会をつくり、「星基金」の運営をまかせました。

 この星基金で飢えをしのいだ学者たちが、中心となって、ドイツに化学王国を誕生させ、バイエル、ヘヒスト、BASFという世界最強最大の化学会社を作ったことは、あまり知られていません。さらには、原爆まで発明してしまったことは、皮肉な運命とも言えます。

 では、「星基金」とは、いったい何であったのか?



つづく
posted by 風 at 00:37| Comment(2) | 日本とドイツの交流 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
星新一はそういうところの子供だったのですね。どんな風に育ったのかとか考えもしなかったのでこのつながりには驚きました。
こういう感覚って、今の自分にはないです。見る人の感覚によって伝わり方がぜんぜん違うってことに驚いています。
星新一自身が父のことを書いた本もあるのですね。全く気がつかなかった!
星基金、おそるべし。

Posted by ささらー at 2009年07月01日 09:19
星新一は、sf作家ですが、実は、お父さんの星一もsfを書いているのです。代筆ですけれどね。そして星新一も星製薬の社長だったことがあります。そんな星新一の代表作が、sfではなく、人民は弱し 官吏は強し (新潮文庫) であることは有名です。
Posted by マネージャー at 2009年07月01日 15:07
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