2009年06月17日

ロマンティック街道

ロマンティック街道とキンダーツェッヒエの伝説

 ドイツといえば、ロマンティック街道。ドイツ最大の観光地がロマンティック街道です。といっても、街道がロマンティックなわけではありません。この街道は、もともとはローマ人たちによって作られた街道で、ローマへの道路網の一環として整備されたものです。別に街道がロマンティックなわけではなく、ローマへの道路という意味ですね。

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 第二次大戦後、アメリカの将兵たちが家族とこの地方で盛んにバカンスを過ごしていましたので、観光地として開発するために、この名でコースが設定されました。ただ、このロマンティック街道というネーミングを考えたのは、日本の観光会社であるという都市伝説があります。本当なんでしょうか?

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 ところで、ドイツには、150以上のこうした観光コースが指定されています。ロマンチック街道は、その中の一つで、日本人にとって一番人気の街です。

 実は、このロマンティック街道とリヒャルト・シルマンには、あまり関連がありません。私が著した『シルマン伝』に脚色として、ロマンティック街道にあるディンケルスビュールが書かれてあるだけです。

 なぜ、脚色してまでディンケルスビュールを書いたか?
 ディンケルスビュールには、
 信じがたい伝説があったからです。
 『シルマン伝』から抜粋して、その伝説を紹介してみましょう。

 ×  ×  ×  ×  ×

「ミュンカーさんは、キンダーツェッヒエの伝説を知っていますか?」
「ええ」
「あれは、カトリックとプロテスタントが殺し合う三十年戦争まっただ中のことだった。カトリックの街デンケルスビュールは、一六三二年にプロテスタントのスウェーデン軍に包囲され大虐殺が行われようとしていた。しかし、その時、勇気ある街の子供たちが敵の将軍の前に跪いて許しを乞うた」

 ミュンカーが物語の続きを語りました。

「しかし、馬上のフォンシュペロイト将軍は、街の破壊を言い渡した。そして、今や破壊されんとする直前、目の前にいる小さな子供が、自分の息子にそっくりなのに驚き、胸を熱くして、その子供を抱き上げ、子供たちの願いはかなえられ街は破壊からまぬがれた。こうして街は救われ、それいらいデンケルスビュールの街は、子供たちを村祭りの主役にして、子供たちは村をあげてもてなされるようになった」

            (リヒャルト・シルマン伝 第20章より)

 ×  ×  ×  ×  ×

 はたして「キンダーツェッヒエの伝説は、はたして伝説であったのか?」ということです。というのも、シルマンが子供村を運営している間のドイツは、平和そのものであったにもかかわらず、行政が子供村の廃止を決定した直後にヒトラーが政権をとって戦争の道に進み、やがてはドイツ全土が破壊されてしまったからです。そしてドイツ復興は、シルマンたちが子供たちのために立ち上がることによって始まったからです。ですからキンダーツェッヒエの伝説のとおり、ドイツの幸福は子供たちと共にあるのかもしれません。

            (リヒャルト・シルマン伝 第20章より)

 ×  ×  ×  ×  ×


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 つまり、子供が、ディンケルスビュールを救ったのですね。

 さて、ここで『シルマン伝』に書いてなかった一つの事実を述べます。ロマンティック街道の中で、唯一、第二次大戦の破壊から免れた都市があるのです。ディンケルスビュールです。近くのローテンブルクの半分が破壊されているのに、キンダーツェッヒエの伝説のあるディンケルスビュールだけは、破壊を免れています。

 これは奇跡です。

 キンダーツェッヒエの伝説が生きていた証拠なんですね。
 そこで私は、一つの結論にたどりつきました。
 キンダーツェッヒエの伝説のとおり、

ドイツの幸福は、
子供たちを平和の使者に
することによって得られると。


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 ×  ×  ×  ×  ×

 その後も、ヒトラーユーゲント師団は大活躍し、ロンメル将軍をはじめとして、多くの将軍が彼らを絶賛しました。しかし、ドイツにはキンダーツェッヒエの伝説があります。子供たちを戦場で死なせれば死なすほど、ドイツは地獄への坂道を転がり落ちていきます。子供たちは平和の使者でなくてはならないのです。

(中略)

 しかし、ドイツでは、子供たちを戦争に使用すればするほど、ドイツが破壊されていったのは皮肉でした。あきらかにキンダーツェッヒエの逆を行っていました。例えば、戦争が終わりを迎えようとしていた時、メクレンブルク州のマルヒンという破壊をまぬがれた都市をソビエト軍が占領した時、隠れていたヒトラーユーゲントがゲリラを行い、ソ連軍の反撃で街の七割が壊滅するという事件がおきました。

 ヒトラーユーゲントたちは、勇敢ではありましたが、街をオープンシティーにするといった理性に欠けていました。戦争法規も教えられておらず、合理的な戦術を展開する術も知らず、ただ闇雲に攻撃ばかりして反撃を受け、美しい故郷を焦土にしていました。

            (リヒャルト・シルマン伝 第25章より)
posted by 風 at 16:33| Comment(0) | ロマンチック街道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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