「星基金」つづき 明治末、12年間の米国留学から帰った星一は製薬会社を興しました。日本で初めてモルヒネの精製に成功するなど事業は飛躍的に発展した星一(星新一のお父さんです)は、ドイツの学者たちの窮状を知りますと、青年時代アメリカで苦学したことを思い出し、自発的に私費をベルリンに送りました。
現在「ドイツ学術振興会」(DFO)という大な組織がありますが、その前身は第一次大戦後、飢餓にさらされた学者たちを救うために設けられた組織(Notgemeinschaft der Deutschen Wissenschaft)でした。
この振興会に星は多額のお金を送りました。
そしてそれには何の条件も制約も付けませんでした。
委員会は「星基金」により第一線級の若い化学者と原子物理学者に奨学金を出すことにしました。その結果、多くの研究者たちが、飢えを知らずに「生きる」ことができたのです。「星基金」の恩恵を受けた人びとの中には、次のような名があります。
リヒヤルト・ヴイルシュテッター 一九一五年、ノーベル化学賞受賞
マックス・プランク 一九一八年、ノーベル物理学賞受賞
フリッツ・ハーバー 一九一八年、ノーベル化学賞
オットー・ハーンー 一九四四年、ノーベル物理学賞受賞
レオ・シラート 一九三八年米国に亡命し、世界最初の原爆を製造
その他大勢の名があります。
ところで「星基金」についての書類文献はごく少ししか残っていません。
その文献は、ライン河畔コブレンツの連邦公文書館に保存されています。
(実は、そのコブレンツに行ってきました)
(西山夫妻も行ってますね!
http://blog.livedoor.jp/m-95_72230/archives/51423703.html その資料によれば、星は一九一九年から一九二五年まで、毎年多額の円を送金しました。当時、金と交換できた日本円は強かったのですね。
ところが、製薬会社というものは、許認可にかかわる事業です。
政争のため星自身は内務省にいじめられて倒産してしまいます。
しかし、星一は、倒産してしまったあとも、
家屋敷を売って、
彼は約束の金額をベルリンに黙って送り続けて、
最後まで約束を守り続けました。
一九二五年の送金だけでも、
ベルリンでは
97の学問的プログラム が進められ、さらに
九人の第一線級の化学者が
二年間続けて助成されました。 つまり研究だけでなく、生計を立てることができました。
つづく